2010年11月13日
├─≠ョ─ヵラスと加藤登紀子
├─≠ョ─ヵラス 紅の豚

├─≠ョ─ヵラス 加藤 登紀子(かとう ときこ、1943年12月27日 - )は、旧満州ハルピン生まれ、京都育ちのシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。「おときさん」の愛称で親しまれている。東京都立駒場高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒。現在は城西国際大学観光学部ウェルネスツーリズム学科の客員教授でもある。
目次 [非表示]
1 略歴
2 エピソード
3 作品
3.1 オリジナルアルバム
3.1.1 ポリドール時代
3.1.2 CBSソニー時代
3.1.3 Tokiko Records時代
3.1.4 ユニバーサル時代
3.2 ベストアルバム
3.3 ライブアルバム
3.4 シングル
3.5 ビデオ、DVD
3.6 提供曲
3.7 校歌類
4 出演
4.1 映画
4.2 テレビドラマ
4.3 テレビ番組
4.4 ラジオ
5 著書
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
略歴 [編集]
実父は満鉄勤務。駒場高等学校では放送クラブに所属。
1965年 東京大学在学中に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝。1966年 「誰も誰も知らない」でデビュー。「赤い風船」で第8回日本レコード大賞新人賞受賞。1969年 「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
1971年 「知床旅情」(作詞・作曲: 森繁久彌、ミリオンセラー)で、2度目の第13回日本レコード大賞歌唱賞受賞。1972年 藤本敏夫と獄中結婚。出産のため一時音楽を離れる。1973年 長女を出産後、音楽界に復帰。1976年 2年前のアルバム「この世に生まれてきたら」に参加した告井延隆が本格的に参戦。以降告井およびセンチメンタル・シティ・ロマンスは加藤の音楽には欠かせない存在として現在までサポートを続けている。
1983年 東宝映画『居酒屋兆治』に高倉健の妻役で、映画初出演。1987年 「百万本のバラ」大ヒット。「難破船」(中森明菜)「わが人生に悔いなし」(石原裕次郎)といった提供曲も、好セールスを記録。1988年 ニューヨークのカーネギー・ホール(小ホール)でコンサートを行う。
1992年 スタジオジブリ『紅の豚』(監督: 宮崎駿)に声優として出演、主題歌「さくらんぼの実る頃」、エンディング・テーマ「時には昔の話を」も担当。また同年に、芸術文化活動における功績に対して、フランス政府からシュバリエ勲章を授与される。1997年 WWFジャパン(世界自然保護基金日本委員会)評議員に就任。この年から2000年にかけて、「さよなら私の愛した20世紀たち」と銘打った10枚シリーズのアルバムを次々と発表する。
2000年 UNEP(国連環境計画)親善大使に任命。2006年 FUJI ROCK FESTIVAL 06に出演。若手ミュージシャンなどとも交遊が広く積極的にコラボレートするなど、現在も精力的に活動。2008年 九条世界会議に参加し、全体会のフィナーレを飾った。2009年 ソウル・フラワー・ユニオンらが主催した『PEACE MUSIC FESTA!』に出演。
エピソード [編集]
学生運動が盛況だった高校生の頃に、東大生の樺美智子の訃報に触れ、心を動かされる。東大入学後、アイドル歌手的存在となりつつも、学生運動に積極的に参加する。その噂を聞きつけた同志社大学の学生であり、ブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫にコンサートへの出演依頼を受けるものの、歌を政治運動に利用されることを嫌った加藤は、それを断る。しかし、この件をきっかけに、2人は交際を始める[1][2]。紆余曲折を経て1972年5月に、防衛庁襲撃事件などで逮捕され勾留の身であった藤本と獄中結婚。「ひとり寝の子守歌」は、塀の中にいる夫を思って作られた、加藤の代表曲のひとつでもある。勾留と釈放を挟み、合わせて30年間を連れ添った夫は、2002年に死去(享年58)。夫との間には1972年、1975年、1980年生まれの3人の娘がおり、そのうち1人はYae(藤本八恵)として歌手活動中。
1974年の「週刊朝日」に寄稿したエッセイにおいて「日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動にかられる」と語っている。
1995年6月21日に発生した函館空港の全日空857便ハイジャック事件では、加藤の実母やバックバンドのメンバーらと一緒に搭乗し、16時間余りの緊張を体験した。当日函館のコンサートの予定が中止となってしまったが、翌日苫小牧のコンサートでは、寝不足ながらも元気な姿を見せた。
北海道標津町には、車で走ると「知床旅情」が聴こえる「メロディーロード」(地元建設会社と道立工業試験場との共同開発)がある。
来場客に日本酒をふるまい、自分も飲みながらコンサートをする「ほろよいコンサート」を各地で実施、人気である。
現在は、千葉県鴨川市で夫と開墾した田畑を「自然王国」と名付け、農業も営む。その様子が、2008年10月19日の「素敵な宇宙船地球号」(テレビ朝日)で紹介された。なお、同番組のエンディングテーマは"Now is The Time"(アルバム「今があしたと出逢う時」に収録)である。
2009年9月29日、国の特別天然記念物に指定されている佐渡のトキ野生復帰に向け行われた、第2回トキ放鳥を記念して「佐渡トキ環境親善大使」に任命される。環境保全に熱心であること、名前に「とき」を含み、国産最後の「キン」を観るため、以前佐渡を訪れるなど、トキとの縁も深かったことから白羽の矢が立った。任期は3年間。
東京大学の同じ学科の先輩にあたる有名人には、紀行作家の宮脇俊三がいる。漫才師「ダイアン」の津田篤宏とは、遠縁の親戚にあたる。夫の影響で、阪神タイガースファン(阪神ファン)になる(夫の出身地は、甲子園球場の所在する兵庫県西宮市)。YOSHIKI(X JAPAN)のドラムテクニックをかなり気に入っている。
├─≠ョ─ヵラス 加藤 登紀子(かとう ときこ、1943年12月27日 - )は、旧満州ハルピン生まれ、京都育ちのシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。「おときさん」の愛称で親しまれている。東京都立駒場高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒。現在は城西国際大学観光学部ウェルネスツーリズム学科の客員教授でもある。
目次 [非表示]
1 略歴
2 エピソード
3 作品
3.1 オリジナルアルバム
3.1.1 ポリドール時代
3.1.2 CBSソニー時代
3.1.3 Tokiko Records時代
3.1.4 ユニバーサル時代
3.2 ベストアルバム
3.3 ライブアルバム
3.4 シングル
3.5 ビデオ、DVD
3.6 提供曲
3.7 校歌類
4 出演
4.1 映画
4.2 テレビドラマ
4.3 テレビ番組
4.4 ラジオ
5 著書
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
略歴 [編集]
実父は満鉄勤務。駒場高等学校では放送クラブに所属。
1965年 東京大学在学中に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝。1966年 「誰も誰も知らない」でデビュー。「赤い風船」で第8回日本レコード大賞新人賞受賞。1969年 「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
1971年 「知床旅情」(作詞・作曲: 森繁久彌、ミリオンセラー)で、2度目の第13回日本レコード大賞歌唱賞受賞。1972年 藤本敏夫と獄中結婚。出産のため一時音楽を離れる。1973年 長女を出産後、音楽界に復帰。1976年 2年前のアルバム「この世に生まれてきたら」に参加した告井延隆が本格的に参戦。以降告井およびセンチメンタル・シティ・ロマンスは加藤の音楽には欠かせない存在として現在までサポートを続けている。
1983年 東宝映画『居酒屋兆治』に高倉健の妻役で、映画初出演。1987年 「百万本のバラ」大ヒット。「難破船」(中森明菜)「わが人生に悔いなし」(石原裕次郎)といった提供曲も、好セールスを記録。1988年 ニューヨークのカーネギー・ホール(小ホール)でコンサートを行う。
1992年 スタジオジブリ『紅の豚』(監督: 宮崎駿)に声優として出演、主題歌「さくらんぼの実る頃」、エンディング・テーマ「時には昔の話を」も担当。また同年に、芸術文化活動における功績に対して、フランス政府からシュバリエ勲章を授与される。1997年 WWFジャパン(世界自然保護基金日本委員会)評議員に就任。この年から2000年にかけて、「さよなら私の愛した20世紀たち」と銘打った10枚シリーズのアルバムを次々と発表する。
2000年 UNEP(国連環境計画)親善大使に任命。2006年 FUJI ROCK FESTIVAL 06に出演。若手ミュージシャンなどとも交遊が広く積極的にコラボレートするなど、現在も精力的に活動。2008年 九条世界会議に参加し、全体会のフィナーレを飾った。2009年 ソウル・フラワー・ユニオンらが主催した『PEACE MUSIC FESTA!』に出演。
エピソード [編集]
学生運動が盛況だった高校生の頃に、東大生の樺美智子の訃報に触れ、心を動かされる。東大入学後、アイドル歌手的存在となりつつも、学生運動に積極的に参加する。その噂を聞きつけた同志社大学の学生であり、ブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫にコンサートへの出演依頼を受けるものの、歌を政治運動に利用されることを嫌った加藤は、それを断る。しかし、この件をきっかけに、2人は交際を始める[1][2]。紆余曲折を経て1972年5月に、防衛庁襲撃事件などで逮捕され勾留の身であった藤本と獄中結婚。「ひとり寝の子守歌」は、塀の中にいる夫を思って作られた、加藤の代表曲のひとつでもある。勾留と釈放を挟み、合わせて30年間を連れ添った夫は、2002年に死去(享年58)。夫との間には1972年、1975年、1980年生まれの3人の娘がおり、そのうち1人はYae(藤本八恵)として歌手活動中。
1974年の「週刊朝日」に寄稿したエッセイにおいて「日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動にかられる」と語っている。
1995年6月21日に発生した函館空港の全日空857便ハイジャック事件では、加藤の実母やバックバンドのメンバーらと一緒に搭乗し、16時間余りの緊張を体験した。当日函館のコンサートの予定が中止となってしまったが、翌日苫小牧のコンサートでは、寝不足ながらも元気な姿を見せた。
北海道標津町には、車で走ると「知床旅情」が聴こえる「メロディーロード」(地元建設会社と道立工業試験場との共同開発)がある。
来場客に日本酒をふるまい、自分も飲みながらコンサートをする「ほろよいコンサート」を各地で実施、人気である。
現在は、千葉県鴨川市で夫と開墾した田畑を「自然王国」と名付け、農業も営む。その様子が、2008年10月19日の「素敵な宇宙船地球号」(テレビ朝日)で紹介された。なお、同番組のエンディングテーマは"Now is The Time"(アルバム「今があしたと出逢う時」に収録)である。
2009年9月29日、国の特別天然記念物に指定されている佐渡のトキ野生復帰に向け行われた、第2回トキ放鳥を記念して「佐渡トキ環境親善大使」に任命される。環境保全に熱心であること、名前に「とき」を含み、国産最後の「キン」を観るため、以前佐渡を訪れるなど、トキとの縁も深かったことから白羽の矢が立った。任期は3年間。
東京大学の同じ学科の先輩にあたる有名人には、紀行作家の宮脇俊三がいる。漫才師「ダイアン」の津田篤宏とは、遠縁の親戚にあたる。夫の影響で、阪神タイガースファン(阪神ファン)になる(夫の出身地は、甲子園球場の所在する兵庫県西宮市)。YOSHIKI(X JAPAN)のドラムテクニックをかなり気に入っている。
Posted by minokei1 at 19:17│Comments(0)
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